バルト海クルーズ ヘルシンキにて
北欧クルーズ 北ドイツからフィンランドの首都、ヘルシンキに入りました。
ヘルシンキの港に入ると、運悪くどうもマーケット近くのクルーズターミナルからちょっと離れたところに私たちの船が到着したことに気が付きました。道理で、街まで往復のバスのチケットを4ポンドで売っていたわけだ。。
地図を見るとさほどの距離でもなさそうだったので歩いてみると、何のことはない。大聖堂を目印に歩いて20分ちょっと。帰りに使えそうな路面電車の番号も確認しながら、即ツーリストインフォに立ち寄る。
3回目となるヘルシンキ、オリンピックスタジアム、大聖堂、現代美術館、シベリウス公園etc.街の中心のものは、ほとんど見尽くして、しかも郵便局でムーミングッズも沢山購入したこともある故、今回は、ちょっと離れたシベリウスの家に行ってみようと思っていた。
北欧は、何が一番楽かというと、どこで何を聞いても、皆しっかり英語を話す。さすが、税金が高いだけあって(アルコールもね)、教育がしっかりとしているんだろうとおもう。
インフォメーションセンターで教えてもらうと、バスで1時間の場所らしい。朝、船で練習をしていたこともあり、すでに12時を過ぎていたため、通りのバスに乗るため、街中を走る。ヘルシンキ バス ステーションに飛び込み、聞いた通り、地下に行くと、沢山の長距離バスがここから出発するらしくゲート数も相当のもの。
飛び乗るようにして乗ったバス、目的地は、Ainola である。
観光バスではなくてこういう地元の交通手段を選ぶ利点は安いこともあるけれど、高速の途中で止まる地元のスーパーやら若い女の子やおばちゃんたちが手籠にピクニック?を抱えて乗り込んできたりする光景を見るのも結構楽しい。
シベリウスの家、アイノラ。もちろん、この名前は、彼の愛妻、アイノの名前に由来しているのだけれど、モデストな造りにも関わらず、設計、柱や暖炉からすべて、かなり良い質のものを利用して作られているとのこと。

シベリウスは、作曲の際、ピアノをあまり使わなかったことで有名なのだが、娘や奥さんたちがシベリウスの仕事の邪魔になるから、近所の家までピアノを弾きに行っていたことなど面白い話が渡されたパンフレットに書いてある。
奥様であるアイノは、DIYにも優れた人だったらしく、家には彼女が作った棚、庭にあるサウナも彼女が作ったもの。リンゴの栽培にも才能があったらしく賞を取ったとか。
150人だったかな?シベリウスの友人から誕生日に贈られたというピアノ、このピアノで、そういえば舘野泉さんがCDをレコーディングしていたようにおもいます。
それにしても、シベリウスが5人の娘と愛妻アイノと暮らしたというこの家。二階は残念ながら見れないものの、かなり小さいように思ってしまいました。どんなに有名で国民的英雄とまで言われても、静かにこのアイノラで作曲活動を続けたシベリウス、1929年に入ってり、亡くなるまでおよそ30年間もの謎の沈黙時代といわれるこの期間、発表される作品はなかったものの、一階の書斎で静かに作曲を続けた姿が、目に浮かぶようです。
交響曲8番を焼いてしまった(娘の一人が遺言に沿って焼いたとも言われているけれど)という庭を歩きながら、もしかすると、シベリウスは、新しい時代の音楽の流れについて一体どのように考えていたのだろうとおもう。
交響曲7番が書かれた1924年以来、多くの人々から「いつ、8番は出来ますか?」
こう聞かれるたびに、「まだ満足がいきません。そのうちに・・・」
さぞかし聞かれたたくない質問だったんでしょうねえ。
この静かなアイノラでそんなシベリウスの思いを少しでも分かりたい、そう思いながら散策をした午後でした。
庭にあるシベリウス、そしてアイノの墓

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